もしもリハビリテーションマネジメントに悩む理学療法士がドラッカーのマネジメントを読んだら

悩みが尽きない理学療法士9年目。回復期から転職して今は訪リハ勤務です。自分の仕事に活かせることが書けたらいいなと思っています。

【雑記】どうしても頭から離れないことがある

リハビリテーションともマネジメントともドラマとも関係のないことを書きます。

 

日本は先進国の中で貧困率が高く、6〜7人に1人が貧困率を下回っているというデータがありますが、多くの人が「そんなに貧困の人っているの?」との感想を抱くそうです。

 

これを説明するのに、『相対的貧困』という言葉があります。

OECD経済協力開発機構)では必要最低限の生活水準を維持するための食糧・生活必需品を購入できる所得・消費水準に達していない貧困を『絶対的貧困』とし、これに対して大まかな世帯の所得が中央値の半分未満の世帯員を『相対的貧困』としています。

 

相対的貧困』とは、所得の中央値の半分を下回っている人の割合で、つまりその国の所得格差を表している数字です。

 

なぜこの相対的貧困が問題視されているのか。

社会活動家の湯浅誠さんがとてもわかりやすい記事を書いています。

https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20180228-00082194/

 

湯浅さんは『相対的貧困』を黄信号、『絶対的貧困』を赤信号と説明しています。

黄信号の例として、香典が出せず親しい友人の葬儀にいけない高齢者や修学旅行にいけない子どもが挙げられています。

彼ら彼女らは、それら些細な経済的理由が原因で人付き合いから離れ孤立し、結果として赤信号である『絶対的貧困』に陥ります。

もちろん全員が赤信号になるわけではなく、なにくそと奮起して成功する人もいるでしょう。しかし万人にそれができるはずはなく、黄信号の数が増えれば当然の結果として赤信号も増えていきます。

赤信号に対応可能な最後の砦は行政です。結果として、赤信号の増大は地域や社会の体力を奪います。

 

OECDの目的は経済成長と開発と貿易です。

そのOECDが『相対的貧困』を問題視するということは、つまりは『相対的貧困』が経済成長に関係しているということなのです。

 

相対的貧困』は格差を指します。

格差には“あっていい格差”と“いきすぎた格差”があります。

ある程度の格差は個人や社会の活力の源泉となり、人々が頑張ることでイノベーションが生まれます。

しかしいきすぎた格差は不安や諦めを蔓延させ、それが世代を超えて固定観念となれば社会から流動性を奪います。治安が悪くなり、テロや無差別殺人などのデメリットを産んでいきます。

 

OECDはこの“あっていい格差”と“いきすぎた格差”の境目を相対的貧困に見ています。

相対的貧困率の高い国は将来の発展に疑問符がつく、つまり相対的貧困率はその国の将来的な発展、伸びしろを指しているのだそうです。

 

世界は黄信号を問題にしています。

日本の国会も2013年に「こどもの貧困の対策の推進に関する法律」を全会一致で可決しており、黄信号の人たちも前を向いて生きていける環境を整えるよう動いています。

 

しかし私たちの理解はどうでしょう。

貧困を相対的なものとして捉え、いきすぎた格差に目を向けているのはごく少数に思えます。

社会保障制度の不備についてプラカードを持って声高に政治批判をしている人も、それをSNSで声高に批判している人も、どれだけの人が相対的貧困を本質的に捉えているのでしょう。

 

私は今回の東京オリンピックのPTボランティア募集について、良いとも悪いとも極端な意見は持てませんでした(そもそもスポーツ系ではないので)。でも、反対や賛成など様々な意見が飛び交う中で、交わされる議論にとてつもない違和感を覚えました。中でも反対派の人を批判する意見には、共感できるようなできないような、気持ちが悪くて仕方ありませんでした。

 

この違和感を解決したくて、『相対的貧困』について少しだけ知識を深めたら、なぜこうも自分が違和感を覚えるのか腑に落ちたように思います。

これについて、次の記事でもう少し深く書いてみようと思います。